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「ブータン農業の父」ダショー西岡記念館完成


2014年6月17日、ヒマラヤにあるブータン王国で農業指導者・西岡京治氏の功績を称える記念館が完成し記念式典が行われた。

「ブータン農業の父」ダショー西岡京治の功績

「西岡京治」の知名度は日本では高いとはいえなないだろう。 しかし、ブータンでは彼の名前を知らない者はいないというほどに知名度のある日本人なのだ。西岡氏はブータンの教科書にものっているほどの大きな功績を残している。

ダショー西岡

西岡氏は1964年4月にブータンに入り、当初2年間農業指導に従事する予定であったが1992年3月にブータンで亡くなるまで28年間をブータンで過ごしている。 ブータンは、歳入(国家の収入)の約4割をインドへの電力輸出がしめるが、電力事業を除くと国民の大半が農業で生計を営む農業国家だ。 西岡氏は、稲の栽培技術や従来ブータンになかった大根・アスパラガス等の品種を持ち込み農業指導に従事することで、ブータンの農産物収穫高を飛躍的に増大させた。特に、稲の並木植え(苗を縦横一定間隔で植える手法)による米作りが普及し、農機を活用した効率化もできるようになり生産効率を大幅に増加させブータン農業の近代化に貢献した功績は大きい。 収穫高が増えれば収入は当然増える、国民の大半が農業従事者であり、収入増加という目に見える成果を残した西岡氏はブータン国民全員から感謝された。 1980年、西岡氏はその貢献から当時の国王であるジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王から「ダショー」という称号を贈られた。 「ダショー」というのは「最高に優れた人」という意味の称号であり、外国人として初めてこの称号を贈られるという快挙だった。   1992年、西岡氏がブータンで亡くなった際には、農業大臣が代表となり国葬が執り行われ、ブータン全土でその死を悼んだ。

ダショー西岡はブータンで今もいきる

人生の大半をブータン農業のために尽力し、ブータンで亡くなり、今も西岡氏はブータンで眠っている。 記念館が出来たことで西岡氏が生きていた頃の貢献を直接経験していない若い農業従事者にも西岡氏の貢献が語り継がれていくだろう。

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